• 2013.8.20
  • コメントは受け付けていません。

帰省③

14、15日の午前中、次男と甥姪の子ども達を連れて海水浴。

魚が少し戻ってきたような。

メジナ(グレ)の幼魚、ベラ他の魚の姿が見られた。

また海藻も少し増えたように思う。

一時は魚の姿も見られず、ガンガゼの無機質な姿に

この海に何が起こった?と思ったことがあった。

しかし、セミの鳴き声があまりにもしない。

私が小さい頃、いやまだ愛媛にいた頃は

夏は朝の5時ごろからやかましいほどセミが鳴いていた。

ちかくのスモモの木など、枝にビッシリとニイニイゼミがいて

目を瞑って採っても、2,3匹は手の中に入ったものである。

農薬のせいかな?

かつてはミカンの木には無数のセミの抜け殻があった。

夜中には、ブ~~~ンと低い羽音でカブトムシが蚊帳を揺らした。

もうそういうことは無い。

3日間飲ンで食って・・・田舎の刺身はやっぱりうまい!

平目、太刀魚、鯵、カンパチ。

今回は特に太刀魚の刺身が絶品だった。

岐阜ではとても食べられないだろう。

こちらでの10年分くらいの塩焼きも食べた。

帰省すると、私は必ず母と母の実家のお墓掃除に行く。

帰省の目的の一つはそれにある。

そして大好きだった祖母に、元気でやっている旨を報告する。

掃除の後、手を合わせると

「勝登か、よう来たな。」

と祖母の優しい笑顔が浮かび、声が聞こえる気がする。

今回、愛媛をたつ朝(16日)に行こうと思っていた。

15日の夕方、雲が出て日差しが途切れた。

これはチャンスとばかり、母を誘おうと思って声をかけると、

母も同様に思い線香、水の入ったやかんなど、行く用意をしていた。

母の実家のお墓は、県道から150mくらいの坂道を登ったところにある。

しかし、その坂道は傾斜が半端ではない。

私は母に電話するときにはいつも言う。

「帰ったときに、僕と坂道を登れるように毎日歩きなはいよ」

母は

「お母さんももう年やけん、いつまで登れるか・・・」

と言いながらも、

「天気のいい日は毎日1kmほど歩いとるけん・・・」とか。

86歳という、年の割には健脚で、私の後を黙って登ってくる母を見て

いつかは私一人で登る日が来るのかな・・・と。

すると、ふと「ロードオブザリング」のあの名セリフが頭をよぎった。

「It's not this day!」

魔界の者たちがうんかの如く攻めて来たとき、

主人公が、ひるむ人間兵士達に行った言葉である。

いつかは人間が魔界に支配されるときが来るかもしれない。

     しかしそれは今日ではない!

私達にもそれはいえる。

いつかは二人でこれなくなる日が来るかもしれない。

     「it's not this day」

いつもその気持ちを持つことにより、

1回でも多く二人でお墓への坂道を登りたいと切に思った。

昨春他界した父。

私が幼い頃、病気で煙草も酒もやめた。

だから父と飲んだことが無かった。

大学生になってからは、帰郷の折にはいつも兄と飲んでいた。

亡くなって初めて父と飲みたいと思う様になった。

今春3回忌で帰省の折に、父と飲む酒を用意し、夕刻墓前で飲んだ。

今回も父と飲む酒を買って帰った。

13日家に帰ると、まずはお盆のお棚に

父用に酒を注いだグラスを置く。

「オヤジ帰ったで。おかげで家族みんな元気にしとる。

 まあ、飲みなはいや」

心の中でつぶやき、私もグラスを空けた。

16日の朝、お墓へご先祖様を送り、その後実家を発つ。

帰りはいつもちょいと寂しくなる。

高校時代、学校まで13キロの道のりを

自転車で2つの峠を越えて50分かけて通った。

まあな.jpg
これが一つ目の峠から。

ここを超えると、もう田舎の姿は見られない。

少し行くと「ネズミ島」。

ネズミ嶋.jpg

保育園、小学校時代は片道3キロ弱とのところにある

干潮時には陸続きとなるこの島へ、遠足に何度か行ったものである。

幼い頃は相当遠く感じた。

16日は豊中の次女のアパート泊。

翌日枚方の伯母のうちを訪ね、夕刻帰ってきた。

やっぱり、田舎はいいね。

関連記事

コメントは利用できません。

最近のコメント

ページ上部へ戻る