• 2013.8.19
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帰郷②

13日、午前中原爆ドーム・平和記念館へ。

原爆ドーム.jpg

18歳、大学1回生の夏休み明け、京都に帰る途中

広島大の友人宅へ寄ったとき以来36年ぶり。

36年前は、ただただその悲惨さに鳥肌が立ったことを覚えている。

今回感じたのは「怒り」だった。

第一次世界大戦が終わった後、戦争は兵士同士の殺し合い以外は認めない、

一般人を殺めてはいけないという「お約束」があったはずである。

東京、大阪、名古屋他、大空襲による無差別の殺戮。

そして広島、長崎への人類史上最悪の大殺戮。

やったのはもちろんアメリカ。

アメリカは戦後それを糊塗するために、

日本人を洗脳した。

でっち上げの東京裁判。

日本人は東南アジアに侵略戦争を仕掛けた。

悪いのは日本人である・・・と。

イギリス、フランスの植民地から開放したと言う事実は何処へ?

まあ、戦争は勝てば官軍であるから

致し方の無い部分はあるかもしれないが、あまりにひどい。

ご丁寧に歴史の教科書にまで「日本は侵略戦争を仕掛けた」

20万人しかいなかった南京で、30万人大虐殺?

日本は悪いことをしたと子ども達にまで洗脳した。

その片棒を担いだのは・・・言うまでのこともあるまい。

何の罪も無い多くの人たちが、一瞬のうちにその命を奪われた。

許されることではないはずである。

当時のアメリカという国に、言いようの無い怒りを覚えた。

午後から呉の大和ミュージアム」へ。

大和.jpg

昭和12年11月起工、16年8月竣工。

大和が進水した頃、既に海戦は巨艦の時代から

空母中心の戦いの時代に移っていた。

最後は、アホな軍のトップの指令により

片道の燃料での沖縄への出撃。

大和の特攻に何の意味があったのであろうか?

零戦による神風特攻隊もしかり。

軍のトップは、兵士を使い捨てのコマのように扱った。

今の官僚のような縦割りの組織で、日本国というものを考えていなかった。

海軍の面子、陸軍の面子、自分達の・・・。

百田尚樹氏の「永遠の0」を読むと良い。

当時戦いは、戦闘機を中心とした空の戦い

制空権をとった方が勝利した。

空母無き艦隊、すなわち護衛機なしの丸裸のサンドバック状態では

抵抗しようもなくむざむざとやられるのは分かっていたはずである。

当然のように、雲霞の如く群がる米艦載機によって、

なすすべもなく大和は沈められた。

あの呉の港から乗船して行った若き兵士達は、

自分の命が数日後になくなることが分かっていたはず。

何を思い呉の港を後にしたのか。

胸を締め付けられる思いだった。

優秀な若き兵士達の命を、虫けらのように粗末に扱った軍のトップ。

これまた許されるものではない。

尊い命の犠牲のうえに、今の日本がある。

完全に平和ボケし、アメリカに骨抜きにされた日本。

押し付けられた9条にしがみつく必要は無い。

自分のケツくらい自分で拭けないでどうする。

自分の国を守れない憲法でどうする。

決して自国から仕掛けていくものではない。

専守防衛がしっかりと出来る、そんな国にならねばならない。

自衛隊が軍隊ではないと言うまやかしはもうおわりにしよう。

れっきとした、自国を、国民を守る軍である。

他国の領土を盗人のように掠め取ろうとする国の軍隊とはワケが違う。

抑止力として空母の一隻でも持っても良いとも思う。

全ては、国民と国土を自分で守るためである。

ミュージアムの前のスーパーの駐車場に車を止め

(帰りにスイカ2個他を買ったので無断駐車ではない、笑)

大和ミュージアムへ行く途中、次女(18歳)が

「お父さん」といって手を差し出した。

いつ以来だろう?

小学校の低学年以来じゃないかな、

次女と手をつないで歩くなんて。

うれしいやら、照れくさいやら・・・。

9時過ぎに実家に到着、飲む。

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