夏プロ2015開講にあたって
梅雨に入りはっきりしない天気の中、紫陽花の葉っぱの上を這うカタツムリのユーモラスな姿が、清楚な花と妙にマッチして思わず微笑んでしまう今日この頃です。
さて、これからの話は、勉強が大好きなあなたにはあまり役立たないので読む必要はありません。
TVの方が、漫画の方が、ゲームの方が好きだと言うあなたには是非読んでもらいたい話です。
それではいきますよ!
突然ですが、「マシュマロ・ テスト」 というのをご存じでしょうか?
え? マシュマロ? テスト?
何かの教育雑誌などで読んだ人もいるかも知れませんね。
これは、 1970年にウォルター・ミシェルとエッベ・B・ベッセンらの心理学者が、スタンフォード大学の学内付属幼稚園で、186人の児童を対象に実際に行われた、心理学研究のための有名な実験です。
で、どんな実験かというと…
ある部屋に集められた4歳の子供たちの前にマシュマロを一つずつおきます。
そして実験者が部屋を出る前に子供たちに一言。
『ちょっと用事があるのでおじさんは部屋を出るね。今配ったマシュマロは食べてもいいけど、おじさんが戻ってくるまで食べずに我慢が出来た子には、ごほうびに、マシュマロをもう1つあげるね。』
さあ、4才の子供には、大変な試練の場です。
あなたが4歳の子供だったらどうするでしょうか?
①腹が減っては戦はできぬ、と我慢しないでいただきます派?
②いやいや、ここは忍の一字で、もう一つもらっちゃおう派?
実はこれ、 「欲求の充足」を先延ばしする(つまり、ガマンする)能力という心理的能力をためす実験だったのです。
4才時点での子供たちの反応は、じつに様々だったようです。
さて、結果です。
②の「忍の一字で、もう一つもらっちゃおう派」の子供たちは待っている間、 両手で目を覆ってマシュマロを見ないようにしたり、腕組みをしたり、顔を伏せたり、独り言を言ったり、歌を歌ったり、中には眠ってしまおうとしたり、「食べたい!」という欲求に対して、その子なりに戦いながら、実験者の帰りを待っていたそうです。
①の「我慢しないで、いただきます派」の子供たちというと、実験者が部屋を出るや否や、なんと殆どの子供が、間髪いれずに美味しく頂いたそうです。
そして、こちらの人数の方が多かったそうです。
さて、この研究で面白いのは、この実験に対する4才時点の反応に加えて、その子供たちが高校を卒業するまで、なんと14年間も追跡調査した点です。
そしてその結果分かったことは、
①「我慢しないでいただきます派」のその後
対人関係を避け、小さいことにも動揺する。
ストレスに弱く、自分を駄目だと思い、自信がない。
感情に起伏が激しく、言い合いやケンカになりがち。
成績が②のグループより低い。
②「忍の一字で、もう一つもらっちゃおう派」のその後
対人能力に優れ、自己主張が出来る。
ストレスに強くプレッシャーに混乱しない。
困難な課題にチャレンジし、クラスプロジェクトに積極的に参加する。
学習意欲が高く成績も①グループに比べ良い。
さらに大学進学適性試験には次のような差がつきました。
ウォルター・ミシェルの娘も実験に参加した一人でしたが、娘の成長につれ、ミシェルは実験結果と、児童の成長後の社会的な成功度の間に、当初予期していなかった興味深い相関性があることに気がつきました。
そして1988年に追跡調査が実施されました。
その結果は、就学前における自制心の有無は十数年を経た後も持続していること、またマシュマロを食べなかった子どもと食べた子どもをグループにした場合、マシュマロを食べなかったグループが周囲からより優秀と評価されていること。
さらに両グループ間では、大学進学適性試験(SAT)の点数には、トータル・スコアでおおきな差が認められるというものでした。
①グループの平均点 言語分野 534点 数学分野 528点
②グループの平均点 〃 610点 〃 652点
ウォルター・ミシェルはこの実験から、生まれ持ったIQより、後天的な自制心の強さのほうが将来の大学進学適性試験の点数にはるかに大きく影響すると結論しました。
2011年にはさらに追跡調査が行われ、この傾向が生涯のずっと後まで継続していることが明らかにされました。
この夏の過ごし方で大きな差がつく!
さてここからが本題です。
「勉強」はこの我慢の絶好の練習となります。
ただし条件があります。
TVや漫画、ゲームの方が勉強より好きだと言うこと。
そんな欲求を押さえて勉強する能力は伸びるのです。
「勉強」と言う字を見て下さい。
「強(し)いて勉(つと)める」と書きます。
つまり無理やり頑張ると言うことなのです。
好きなことは何時間でも抵抗なくできます。
楽しくないけど自分にとって必要だから頑張る。
そこに「我慢」する「努力」する能力が養われるのです。
だから、勉強は嫌いで結構なのです。
もちろん算数や数学で、一生懸命考えて解けたときの喜びはあるでしょう。
子供は好奇心の塊ですから。
知ることの喜びはあります。
それでも勉強よりも遊ぶ方が、TVを見る方が、漫画を読むほうが、ゲームをする方が、一般には楽しいのではないでしょうか?
あなたは学校から解放されます。
受験生以外はスポーツに励むのも、友人と遊ぶのもいいでしょう。
しかし、この期間の過ごし方いかんでは、秋以降に大きな差がつきます。
勉強をさぼって遊びたいという欲望のマシュマロを今食べるか、
ちょっと我慢して計画表に書いた今日の勉強を頑張るか、 どっちを取る?
保護者の皆様へお伝えしたいこと
学志舎の基本は「計画学習」にあります。
すなわち、自分なりに考え計画する→実行する→見直す→再度実行する。
いわゆるPDCAの実施です。(P=plan D=do C=check A=action)
またするつもりもありません。
勉強をするのは先生ではなく、生徒自身だからです。
最初は誰でも分かりません。
ですから、ある程度大人がレールを引きます。
しかし、慣れれば自分でレールを引いてみることが大切です。
引き方は教えます。
少々のゆがみはかまいません。というより小さな失敗はOKです。
失敗をして、それを自分で矯正する力をつけることが、そういう経験をすることが大切だと思います。
敷かれたままのレールを走り、失敗という失敗もせず、大人になって初めて失敗に出くわしたとき、どうしていいのかわからない。
そんな人間にならないように。
大切なことは、自分の意思で実行することです。
いつまでも自分の考えを持たず受身で、指示を待っているような子供では、決して大きくは伸びません。
大きく伸びる生徒に共通しているキーワードは「自律」です。
これは私の19年間の経験から確信したものです。
「大事なことは、手をかけすぎない」ことです。
さらに
「子どもを信じて、見守る」ことです。
塾の役割と親の役割
何年か前のことです。
5月半ば、岐阜高校の1年生A君が入塾しました。
夏休み前、自己分析シート(自分の弱点を洗いだし、夏にどの教材を用いて、どんな学習をするのかを記入するシート)を渡すと「何を書いていいのか分からない」と言うのです。
話を聞いてみると、彼は中学時代、大手の黒板授業の塾に通っていたのです。
塾からドサッと出される宿題さえこなしておけば、それなりの成績(5科目450点超)が残せていたのです。
だから、「自分で何を勉強すればいいのか分からない」状態になっていました。
それでもなんとか担当のコーチと一緒にシートを書き、毎日のように通ってくる高校生の中、申し訳程度の日数しか塾に出てこなかったS君。
8月が終わると彼は「やっぱり僕は、宿題とか、やることを決めてくれる塾の方がいい」と退塾しました。
昨今、企業の人事、管理職、トップの方とか、大学の教授の方と話をすると「最近の若い子は言われたことはきちんとこなすが、自分で考えて行動を起こすことが出来ない」と嘆いておられます。
これは半分は大人の責任ではないかと考えています。
「学力(学ぶ力)」が身についてないのです。
塾の責任は大きいと思います。
すなわち失敗させない教育、間違いは「×」の考え方。
失敗させない教育の典型が「宿題をドサッと出して、できなければ居残り」。
完全に塾がレールを引いて、生徒はその上を走るだけの教育。
そこには子供が考えて、アクションを起こす余地はありません。
お子様の今の成績は、どんな土台の上に成り立っているのでしょうか?
塾が作っているのですか?
自分で作っているのでしょうか?
ここで保護者の皆さまにお願いがあります。
90%以上の親さんが、子供の短所を見つけて、そこを直そうと頑張ってしまいます。
そしてそれを口に出してしまいます。
そこをぐっと我慢して、良い点だけを見つけて、それを口に出して褒めてあげてほしいのです。
でも良い所がなかなか…という親さん。
うちの子は気が短くて…と言うお子さんは、ひっくり返せば「決断が早い」という良い点が見えてきます。
優柔不断で…と言うお子さんは「何事にも慎重」というと言う良い点が見えてきませんか?
短所と長所は見方によって表裏一体のことが多いのです。
どうぞ今までと大きく角度を変えて、見てあげて下さい。
そして見守ってあげて下さい。
短所をほじくりだされて、駄目出しされる子供は、小さく小さくなってしまいます。
この夏は
「飯を食え!」
「本を読め!」
「空を見ろ!」
そのくらいの気持ちでいてあげてほしいのです。
そのかわりやるべきことは塾でやります。お任せ下さい。
私はこれまで非常に多くの子供たちを学習や受験という部分を通して見てきました。
そして、小学生、中学生の頃に教えていた彼ら、彼女らが、やがて大学、社会人となっていった過程もずいぶん見てきました。
「マシュマロテスト」ではありませんが、やはり、年月を経た彼らの姿を見ていると、当時の出来不出来は別として、10代の大事な時期に自分にムチ打ってがんばってきた子たちは、明らかに輝いているように見えますし、
ある意味成功を収めているような感じさえうかがえます。
この夏、受験生はもちろんですが、その他の学年の生徒も、いつにない熱い熱い夏を過ごしてほしいと思っています。