冬プロ

冬プロ2015開講にあたって

今年も今月を残すだけとなりました。
時の経つのは早いものです。
さて、受験生は待ったなしの冬休みです。
受験の日まで、毎日エンジン全開、100%で走ってもらいます。
その他の学年の生徒、大晦日、正月はどうぞ家庭で、旅行先等でゆっくりして下さい。

さて、今年の後半はラグビーに沸いた年でした。
五郎丸選手のあのポーズ、日本人なら誰もが知っていると言っても過言でないほどはやりました。
2015年の流行語大賞は「トリプルスリー」と「爆買い」でしたが、惜しくも選に漏れたのが「五郎丸」だったのです。
五郎丸W杯前は久々に一つ勝てるかもしれない、(アメリカ戦)と思っていました。
ふたを開けるとなんと開幕戦の南アフリカに劇的な逆転勝ち。
ミスのない連続攻撃に鳥肌が立ちました。
3勝1敗で、史上最強の敗者と言われ、帰国した選手たち。
E.ジョーンズヘッドコーチの下での猛練習の賜物であったのですが、「もう一度ジョーンズHCの指導のもとでやりたいですか?」との質問に、キャプテンのリーチ.マイケル、五郎丸選手他、みな複雑な表情をしていたのには笑えました。

どういうことか?

それはジョーンズHCの指導がかつてない、選手が逃げ出したくなるほどきついものだったんですね。スタッフも世界のトップクラスを集め、「勝つ可能性に繋がることなら何でもやる」と言い切りました。
ジョーンズHCがやったことは月並みですが、それは今まで体験したことがない「ハードワーク(努力)」に尽きます。
この3年半、理不尽なまでの練習を代表選手に課しました。
年間120日を超える強化合宿。
時にはなんと早朝5時から「ヘッドスタート」と呼ばれる練習が始まり、1日に3度、4度と練習をする日もありました。
あの無人飛行機ドローンを飛ばして、上空からの選手たちの動きをとらえ、戦術の向上も図りました。
(五郎丸選手、なんとそのハードな練習の合間に、黙々とキックの練習をしていました)
日本人ラガーの持ち味は「勤勉さ」「忍耐力」。とにかくこれを活かし、世界のトップクラスのフィットネス作りを目指したのです。

走って、走って、当たって、走る。

そう、かつてW杯で1勝しかしたことのないジャパンを、ベスト8に進出させるために、これまでの常識をはるかに超えるトレーニングを課したのです。
そして選手たちはそれに耐え、今までの自分達をはるかに超えてきたのです。
 

自分を超えろ!

2015年を締めくくる冬プロ、かつてない練習(学習)を自分に課して下さい。
そして、これまでの自分を超えて下さい。
大晦日に「しばらくテキストは見たくない」と思えばしめたものです(笑)

偏差値アップ学志舎で入塾以来、4回連続で全国模試をアップさせてきた生徒がいます。3連続は結構あるのですが、4連続は私の記憶にはありません。聖徳学園大学付属中1年のSさんです。
彼女は夏プロで、塾からのおススメコースにさらに+15コマを課しました。
そして最後まで集中して夏を乗り越えました。
1月の全国模試ではさらに前人未到の5回連続偏差値アップを目指します。
彼女の夏プロ後の感想をどうぞ。

私は今回の全国模試で、5科目全てが上がりました。
その理由は夏プロの学習にあったと思います。
塾からのおすすめコースには「30コマ」と書いてありましたが、45コマ申し込みました。
塾なら集中してできるので時間を使って、どの問題も完ぺきになるまで何度も何度も解きました。
そのことによって、内容が深く頭に入ったと思います。それは塾が取り入れている「OK!学習法」によって身につきました。
今回私はテストの点がたくさん上がった事だけでなく、くり返しねばり強くやることの大切さも学びました。
このような学習法は決して楽だとは言えません。
逆につらい時もありますが、努力して良い結果が出たときの喜びは、努力した人しか味わえない、貴重な経験だと思います。
皆さんも次のテストをチャンスに頑張って下さい。

もう一人。聖マリア女学院高校3年のNさん。
彼女は先日志望校である南山大学(人文)の合格を決めました。
実は私は彼女に、2年生の時から密かにこうささやいていました。
「四谷駅(上智大学)を目指せ、Nならそれが出来るからやってみよう!」
マリアでは推薦で10人弱の生徒が上智へ行けるのです。
その目安は学年25番以内。
しかし彼女は、一人暮らしよりも自宅から通いたいと思っていました。
お姉ちゃんが一昨年に京都へ出ていったこともあってか、お父さんも近くの大学を勧めていました。
(女の子供を持つお父さんの気持、分からんでもありません?) 
3年生では彼女の志望校は南山大学に確定していました。
推薦入試で合格当確ランプがついていた彼女、夏休みは通常授業だけで、特別他の受験生のように夏プロをしゃかりきになってやる必要もありません。
しかし私は彼女の為にと思って言いました。
「ごめんやけど、先生は今までNが100%でやったところを見たことがない。
人間て100の力を持っていても、60~70の力しか出さないと、いつかその残りの30~40の力が出せない自分になってしまう。
この夏これ以上やれん、というところまで頑張ってみないか。
Nが大人になった時に、ここぞという時に100の力が出せるように。
そしていつか振り返った時、あの高3の夏、ほんとうによく頑張ったな、と思える夏プロにしよう。
もう一つ言うと、ただ南山に行くのではなくて、上智を蹴って南山にいけよ!」
彼女はフリーパスコースをとり、担当の河合コーチと作った計画をこなすべく100コマを遥かに超える時間を教室ですごしました。
勉強夜、疲れて机に少し寝込む姿もありました。
しかし今までにない頑張りで、途中彼女に「どうや?」と聞くと「うん、ちょっとつらいかも。でもがんばる!」と返事をくれたことを思い出します。
頑張り続けた結果、夏休み明けの期末テストが中間テストの順位を押し上げ、彼女のこれまでの最高、学年で総合22番になりました。
中間テストが28番だったので、単純計算でも期末では15番くらいの席次を取ったことになります。
私の言った通り、上智大学合格圏内に入ったのです。
9月にその報告してくれたときの彼女、実にいい表情をしていましたね。
私にとっても、思い出に残る夏を作ってくれた彼女に感謝です。
子供たちが目標に向かって頑張る姿を見間近に見ると、本当にうれしくなりますね。
では彼女の感想です。

私は小学校の3年生から学志舎に通っていたが、正直、真面目な生徒ではなかったため、「夏プロ」では昨年までは、最小限のものを選ぶというズルをしていた。
しかし、高3となった今年、塾長の話を聞き、いつもと違う夏にしたいと思い「フリーパス」というコースを選んだ。
フリーパスは自分が行きたいだけ行けるもので、たくさん来ようと思えばたくさん来れるが、休もうと思えばどれだけでもさぼれるものであった。
これまでの夏をダラダラ過ごしていた私にとって、一種の賭けだった。
例年のような夏プロにしないために、行けるときに行く「夏プロ」を、特別な用事がないとき以外は必ず行く「夏プロ」にした。
朝の8時45分から、終わりの21時30分まで塾に通う日が続き、勉強が大嫌いな私にとって、辛いことではあった。
しかし、それを乗り越えるという達成感を逆に毎日感じた。
いつもは登校日前日に深夜までかけてギリギリで終わらせていた宿題も八月の一ヶ月を残して終わらせ、テスト勉強も余裕を持って取り組むことが出来た。
マンツーマンの授業を取っていたので、私の担当の河合コーチからアドバイスをもらって目標を設定、それに向けて一つ一つの教科に計画を立て、そして実行。
全ての教科が計画通り実行でき、身についていることを実感しながら勉強をすることが出来た。
その結果、初めて目標を達成することが出来た。
「いつも通り」ではなく、辛いことを乗り越えて「いつもと違う特別な夏」にすることができたことがとてもうれしく、今は親と塾に感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さんも自分を乗り越えることに挑戦してみてください。
勉強嫌いな私でもできたのですから、きっとできますよ!

Sさん、Nさんありがとう。
そういえばW杯前に「W杯にかけるもの」を問われた五郎丸選手、即座にこう答えました。
感謝です
突然ですが、感謝が出来る環境作りに一役買っているのが「長所ノート」です。
どうぞお父さん、お母さん、私が進呈した長所ノートを続けてみてください。
さあ、生徒達、この冬もやるぞ!
やる気
 

お父さんお母さんへ

いつもは学志舎に御支援・ご理解を賜りありがとうございます。
長くなりましたが最後に親さん向けに書きたいと思います。
五郎丸選手が所属するのは社会人ラグビー、トップリーグの「ヤマハ」。
その監督は今年の夏の甲子園を沸かせた、早稲田実業1年生で3番を打ち活躍した清宮選手のお父さんです。
清宮監督清宮監督は早稲田大学時代フォワードの名選手でした。
卒業後サントリーに入社。
その後、なんともならんほど弱くて低迷していた母校早稲田に監督として復帰します。
2年後には早くも大学選手権で優勝。
そして当時の王者、関東学院大学と6年連続大学選手権でその覇を争うというすばらしいチームを作り続けました。
その後サントリーに帰り、そこでも優勝をし、5年前にトップリーグでは弱小の「ヤマハ」に移り、毎年順位を上げ、昨年はついに古巣のサントリーを決勝で破り、見事優勝を成し遂げました。
氏の手腕はすごいです。
しかし氏の若き時代は、実にやんちゃで、言い換えると「不良」と言っても差し支えないほどの少年でした。
その少年がこんな名監督になったのは、そして氏を支えたものは何だったのでしょうか?
氏は「自分の母親ほどかっこいい人はいない」と言っています。
以下は氏がヤマハの監督になった当時の、インタビューへの答えです。

「自分が子供を持って初めて分かったけれど、子供を育てていくためには、ものすごく我慢が必要で、それは部員を育てることにも通じる」

「例えば、中学時代に隠れてタバコを吸っていたことも、ケンカをしたことも、夜中に家を出ていくのも知っていながらも見守り、一切口を挟まなかった。それは決して甘やかしているのではない。『何が間違っていて何が正しいのか』『自分は何をすべきなのか』を自ら考えて判断する力を子供に身につけさせる狙いがあった。 」

「母親は、僕のことを信じてくれていたというか、自分がこの子を信じてやらなくて、誰が信じるのかって思っていたんだと思いますよ。だから、近所から『あそこの極道息子は』と陰口をたたかれても気にしない。周りの陰口とか一切気にしない。ヤンチャしてても、母親のそういう態度っていうか、自分との向き合い方って、子供なりに感じることができるんだと思うんです。」

「いまだに『ぎょうさん苦労掛けてくれたわ』とか言いますけど、自分は親として我が子を信じ、自分で考えさせるってことを実践してきたんですよね。懐が深いというんですかね。母の育て方はすごかったなぁとつくづく思います」

「ついつい最後まで任せきれないというか、やり方を押し付けてしまうというか、近道を教えてしまう。子供を育てるのって、ものすごく我慢が必要なんですよね。その我慢が、子供のひらめきとか可能性を引き出すことにつながるんじゃないでしょうか。我慢強くいるためには、とことん信じるしかないんですよね」

これを初めて読んだ4年前、清宮監督の一言一言が、塾人として、また一人の親として、心の奥に深く突き刺さりました。
そして氏の言葉が、私が目指していたもの、子供たちに必要なのは「自律」であると、改めて確信させてくれたのでした。

信じる・見守る・我慢・自分で考える力

いろんなキーワードがありましたが、どうぞお子様を見守ってあげて下さい。
子供が1歩前に踏み出すパワーは、親さんに信じてもらっているという安心感、不安なときに振り返った時に、子供を見守る親さんの「大丈夫だよ!」という笑顔から生まれます。
我々も一生懸命支援しますが、お父さんお母さんの支援にかなうものはありません。
今後ともよろしくお願い致します。    塾長 山田勝登
 

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